その頃――翔不在のオフィスで琢磨は忙しそうに仕事をしていた。副社長である翔が不在の間は急を要する重要事項の書類などはオンラインでやり取りをし、彼の承認を得られれば、琢磨が決済の印を押す……等の重要な仕事も行っているので気が抜けない。「翔、このデータで間違いないな?」『ああ、問題ない。これでいこう」翔とオンラインで仕事のやり取りを行っていた時に、琢磨のスマホに着信が入った。『琢磨、今メッセージが届いたようだが、確認しなくていいか?」「ん? ああ、別にいいさ。今はお前と仕事している最中だし」『だが急ぎの要件だったら困るだろう? 俺に構わず確認しろよ』「分かったよ」翔に促されて琢磨はスマホを確認し……顔色を変えた。『何だ? 何かあったのか?』琢磨の変貌に気づいた翔は声をかけた。「……メッセージの相手は……朱莉さんからだった。」『何だ、そうだったのか。……珍しいな。お前にメッセージを送るなんて』「お前……明日香ちゃんと成田空港近くのホテルに昨夜から泊まっているんだよな?」『そうだ。明日香がそうしろって言うからさ。ホテルを手配したのも明日香なんだ』翔のいつもと変わらぬ口調に琢磨は苛立ちが募った。(……一体何なんだ!? 翔の奴め……!)「おい。翔」『な、何だ?』突如口調が変化した琢磨に戸惑う翔。「自分達だけ空港近くのホテルに前日から泊まって、朱莉さんだけ自宅から直接空港に向かわせたのか?……朱莉さんの事だ。きっとこの炎天下の中、重たいスーツケースを持って電車に乗っているに決まっている! 本当にお前は思いやりの心も無いのか? 自分達だけはファーストクラスに乗り、朱莉さんにはエコノミーを使わせるし!」最後の方は怒りの口調になっていた。しかし、それを聞いて驚いたのは翔の方だった。『え? 何だって!? そうだったのか? 明日香が朱莉さんの分もホテルを予約しておくと言っていたから、俺はてっきり……』「それで……明日香ちゃんは今そこにいるのか?」『いや、ホテルのカフェに今行ってるはずだが……』「そうか……」琢磨は溜息をつくと、自分の気持ちを告げた。「翔。お前が副社長ですごく忙しい身だって事位、秘書として働いている俺にはよく分かっている。だがな、これからは朱莉さんに関連することは明日香ちゃんに任せるな。いいか? ……これじゃあまり
「朱莉さん……本当に一人でモルディブまで来れるだろうか? 同じ便なんだから空港で待ち合わせをしても良かったんじゃないか?」ここは成田空港のファーストクラスラウンジ。翔は明日香に問いかけた。「何言ってるの。ここの部屋を使えるのはファーストクラスに搭乗する人達だけっていうのは翔だって知ってるでしょう? それじゃ私たちにエコノミークラスの人達と同じ場所で待とうって言うの? そんなの嫌よ。あんな場所で待つなんて疲れるわ」フンと言いながら明日香はそっぽを向く。「いや、別にそんなつもりで言ったわけじゃないんだが……。それじゃ、明日香。お前だけここを使っているか? 俺は朱莉さんを……」すると突然明日香がヒステリックに叫んだ。「何よ! それって私よりも朱莉さんの方が大事だって言うの? だから彼女を選んで結婚したのね? 酷いわ……。翔が彼女と夫婦って事だけで十分私は苦しんでいるのに……そのうえ、こんな私を放っておいて、翔は彼女の元へ行くっていうの!?」目に半分涙を浮かべながら詰る明日香。「ち、違う。そうじゃないんだ……。ごめん、悪かったよ明日香。大丈夫、心配するな。俺が愛しているのは明日香だけだから……」人目も気にせず、ヒステリーを起こしている明日香を翔は抱き寄せて、背中を撫でながら落ち着かせる。明日香はここ最近情緒不安定気味になっている。もともと嫉妬心も独占欲も昔から人一番強かった明日香は、やはり書類上だけの夫婦となった朱莉に対して激しく嫉妬していた。いくら朱莉と翔が一切会う事も無く、またメッセージ交換も週に1度で、そのやり取りを明日香に見せている。(どうすれば明日香の不安な気持ちを払拭させる事はが出来るんだ? 将来的に明日香と結婚するために偽装妻を持ったのに、かえって明日香を苦しめているのだろうか……?)翔は明日香を抱き寄せながら心の中で深いため息をついた。(すまない、朱莉さん。無事にモルディブまで来てくれよ……)心の中で翔は祈った――**** 成田空港を出て、コロンボ経由。そして無事にマーレ空港へと約10時間のフライトで、ようやく地上に降り立つことが出来た朱莉は溜息をついた。「良かった……無事にここまで来ることが出来たわ」正直に言うと、コロンボを降りた時は不安でいっぱいだった。言葉も通じないような場所で乗り換え等出来るのだろうかと最初は不
朱莉たちが泊まるホテルは空港がある島のホテルだった。「それにしても珍しいわね~。たいていは島の水上コテージに泊まるのが主流なんだけど、ホテルとはね……まあ、この島なら不便は無いから。それで選んだのかしら?」エミは車を運転しながら首を傾げる。「さあ……私からは何とも……」朱莉はほとんどモルディブの事を知らないので、曖昧な返事しかできない。そんな朱莉をチラリとエミはチラリと見る。「でも運が良かったわ~。ここはね、5月~10月が雨季なんて言われてるけど、今日は良く晴れているわ。滞在中はずっと晴れてるといいわね」「そうなんですか? それじゃ私、ほんとについていたんですね。お天気に恵まれたし、エミさんのように素敵な女性ガイドさんにも巡り合えたし」「あら、そう言ってくれると嬉しいわ」エミは軽快に笑う。「あ、アカリ。ホテルが見えてきたわよ」エミの指さす方角に海岸沿いに建つ白い壁が美しいホテルが見えてきた――**** フロントでエミがホテルの従業員と話をしている間、朱莉はホテルのロビーのソファに座り、ぼんやりと外を眺めていた。窓からは美しい海に白い砂浜が見える。とても素晴らしい景色ではあったが、朱莉の心は沈んでいた。(やっぱり何も連絡来ないんだな……。今頃あの2人はどうやって過ごしているんだろう……?)そんなことを考えていると、手続きが終了したのか、エミがこちらへとやってきた。「お待たせ、アカリ。……あら? どうしたの? 元気が無いようだけど大丈夫?」「え、ええ。大丈夫です。少し慣れない旅行で疲れただけですから」「そう……? それでこのホテルは朝食は出るけど、昼と夕食は食事が出ないの。一応ホテルには24時間空いているカフェがあるから、そこで軽食を取ることが出来るけど……どうする? 今夜は一緒にお店で食事しようと思っていたんだけど」「そうですか。でも……すみません。折角のお誘いなんですが体調が悪いので明日にしていただいてもいいですか? 今夜はホテルのカフェで食事しますので」「そう……? 分かったわ。お部屋はこの上の805号室よ。はい、これが部屋のカードキー」エミは朱莉にカードキーを渡した。「ありがとうございます」「それじゃ、明日10時に部屋に迎えに行くわね?」「え?」「あら、いやね。私は通訳だけど、ガイドでもあるんだから。観光案内し
朱莉は自分が宿泊する805号室に着くと、カードキーを差し込んで部屋の中へ入った。中は広々とした20畳ほどの部屋の間取りで大きなベッドが2台置かれている。掃き出し口の窓はバルコニーになっていて、そこから美しい海が見える。時刻は18時を少し過ぎたところで、日の入りが近いのか海にオレンジ色をした太陽が沈みかかり、空は美しい夕暮れ色に染まっていた。「うわあ……綺麗……」朱莉は少しだけその景色に見惚れ……やがて着替えもせずにベッドに倒れ込んでしまった。(おかしいな……さっきから身体が熱くて、頭が割れそうに痛い。風邪でも引いてしまったのかな……?)何とかベッドから起き上がり、持参して来た体温計を探し出すと、熱を計ってみた。やがてピピピピと検温が終わった事を知らせる音が鳴り、体温計の数値を見て驚いた。「え…嘘でしょう…?」何と朱莉の体温は38度5分をさしていたのだ。「そ、そんな……こんな所にきて風邪引いちゃうなんて……」熱もそうだが、それよりも深刻なのが割れそうな程の頭の痛みだった。朱莉は元々片頭痛持ちだったので、痛み止めを常時持参していた。ズキズキと痛む頭を押さえながら、何とかショルダーバックから痛み止めを取り出すと、買っておいたミネラルウオーターで薬を飲む。着替えをする気力も無かったので、取り合えず来ていた服だけを脱いで畳むと下着姿だけでベッドの中へ入った。ベッドの中で身体を丸めて痛む頭を押さえながら寝ようとしても、具合が悪すぎて眠る事ができない。朱莉はベッドの中で自分に必死に言い聞かせた。(大丈夫……さっき私が飲んだ薬は痛み止めだけど、解熱効果もある。きっとその内、熱も下がって身体が楽になって眠れるはず……)やがて暗い室内に寝息が聞こえ始めた。痛み止めが効いて来た朱莉がようやく眠れたらしく、スマホの着信音が鳴っているにも関わらず、深い眠りに就いている朱莉がそれに気づくはずも無かった……。 その頃―― 朱莉とは違う本館のホテルに泊まっていた翔はトイレに行って来ると言って席を立ち、朱莉のスマホに電話を掛けていた。しかし何コール呼び出し音が鳴っても朱莉が電話に出る気配が無い。「どうしたんだ? 何故電話に出ないのだろう? ガイドの女性が空港に迎えに来ると琢磨が言っていたから彼女と一緒に食事でも楽しんでいるのか?」半ばイライラしながら翔は朱莉に
祖父にいきなり明日香との関係性を咎められ、無理やり見合い話を持ち出された時。真っ先に思いついたのが相手に単価を払っての偽装結婚だった。月々、手当として破格の給料を支払い、必要に応じて妻を演じてもらい、別れる時はあっさり身を引いてくれる女性を雇えば良いのだと。まずこの話を最初に相談したのは言うまでもない、明日香だった。明日香にこの話をすると、彼女は突然激しく怒り狂い、家中のありとあらゆるものを破壊しつくした。だが翔の必死の説得により、ようやく応じた明日香と約束したのだ。絶対に偽装結婚をする相手は自分よりも外見が劣る女にしてくれと。 次に相談した相手は琢磨だった。てっきり彼も自分の意見に賛同してくれるかと思ったのだが、偽装妻の話をした時は顔色を変えて猛反対した。お前は相手の人権を踏み躙るのかと。お前が相手にする女性は血の通った人間だ。それなのに、そんな残酷な事をするのかと。だがその時は琢磨の話を鼻で笑い、嫌がる琢磨に無理やり偽装妻の人選をさせたのだ。そして選ばれたのが朱莉。地味な外見で派手な美人である明日香とは比較にならない存在だったのだが……実は彼女はその美貌をどんな理由があるのかは分からないが、自らの意思で隠していた。そしてその事を知った明日香はどんどん情緒不安定になってゆき、今では精神安定剤が欠かせないようになってしまった。こんな事なら最初から諦める前に、時間をかけて祖父の説得を試みるべきだったのだ。そうすれば明日香はこんな状態にならず、朱莉だって不当な扱いを受けるべき存在にはならなかったのだから―― 酔って眠ってしまった明日香を背負い、部屋まで戻ってベッドへ寝かせた時、タイミングよく翔の携帯が鳴った。相手は琢磨からだった。「もしもし。どうしたんだ? こっちの時間ではまだ夜の8時だが、そっちはもう真夜中だろう? 何か急ぎの用事か?」『いや。別に急ぎの用って訳じゃ無い。朱莉さんはどうしてるかと思ってな』「どうしてるかと聞かれてもな……今日はまだ1度も彼女に会っていないんだよ」翔の言葉に琢磨から電話越しに呆れた声が聞こえてきた。『はあ? 翔……お前って奴は……ほんとに……!』「分かってる。朱莉さんには本当に悪い事をしていると心から反省している。だからさっきから、何度も朱莉さんに電話をかけても出ないんだ。恐らくはガイドの女性と
翌朝―― 朱莉は酷い寒気と頭痛で目が覚めた。「参ったな……。体調良くなっているかと思っていたのに……」ため息をつきながら朱莉は寒さで身体を震わせた。寒い……ということは、これからもっと熱が上がるのかもしれない。おまけにシーツや布団が肌に擦れるとヒリヒリと痛む。この様子では今日中に体調が回復するとはとても思えなかった。「パジャマに……着替えなくちゃ……」何とか身体を起こすが、途端に激しいめまいが起こってベッドの上に倒れこんでしまった。(め、目眩……落ち着くのよ……)目を閉じて、目眩が治まるのをそのままの体制でじっと待つ。やがて、徐々に治まってきたので今度はゆっくり起き上がった。「うぅ……」とてもではないが、スーツケースからパジャマを探す気力が無かった。「何か部屋のクローゼットに……バスローブでも入っていないかな……?」ふらつく身体を奮い起こし、朱莉はクローゼットに向かった。震える手で扉を開けて中を覗くと、ハンガーにバスローブがかかっている。ワッフル時で手触りの良いバスローブ。これなら肌に擦れても痛くはないかもしれない。朱莉はバスローブに袖を通し、再びベッドに向かうと痛み止めを飲んだ。本当なら何か口に入れてから飲まなくてはならないのだろうが、あいにくこの部屋には何も食べ物が無いし、食欲すら無かった。(……こんなことなら……部屋に入る前に何か食べ物を買っておけば良かったな……)熱でズキズキ痛む頭を押さえながら、自分の熱くなった額に手を当ててため息をついた。その時、朱莉のスマホが鳴った。「多分……エミさんね……」気力を振り絞り、何とか朱莉は電話に出た。「はい、もしもし……」『おはよう、アカリ。……何だかすごく具合が悪そうだけど……もしかして風邪ひいちゃったの?』受話器越しからエミの心配する声が聞こえてくる。「はい……そうみたいです。それで申し訳ありませんが……今日はとても出掛ける事が出来ないので……ホテルで…休むことにします……」『風邪薬は飲んだの? 何か食べた?』「頭が痛いので……持ってきた痛み止めは……飲みました。…食事はとっていません……」『ええ!? そうなの!? 誰か様子見に来てくれたの?』「いいえ……? 誰も来ていませんけど……?」『……そう』(エミさん……どうしたんだろう?)エミの声に何か怒りというか、
ウトウトしていると、突然額にひんやりとしたものが乗せられて朱莉は目を開けた。すると心配そうに朱莉をのぞき込んでいるエミの姿があった。「……あ……エミさん……?」「ごめんね。起こしちゃったかしら? 熱があまりにも高かったから、冷やしてあげようと思って」「どうもありがとうございます……」「いいのよ、気にしないで。色々食べられそうなもの買ってきたのよ。部屋の冷蔵庫に入れておいたから食べてね。後、家からフルーツを沢山持ってきたの。昨日の夜から何も食べていないんでしょう? どう? 今食べられそう?」「はい……食べられそうです」朱莉はベッドから体を起こすとヘッドボードに寄りかかった。「それじゃ、ちょっと待っててね。すぐに持ってくるから」エミはいそいそと立ち上がると、部屋の奥にある冷蔵庫から皿にのった山盛りのフルーツを持ってきた。皿にはマンゴーやパッションフルーツ、バナナ、そして……。「あの……これは何ですか?」朱莉は皿の上に乗った緑色のごつごつした果実を指さした。「これはね、『カスタードアップル』っていう南国のフルーツよ。聞いた事無いかしら?」「はい……見るのも聞くのも初めてです……」「あら、そうなの? それじゃ早速食べてみてよ。すごく美味しいのよ?」エミは嬉しそうに笑うと身を取り出して、小皿に取ると朱莉に差し出した。「はい、食べてみて」「いただきます……」スプーンですくって口に入れた朱莉は目を見開いた。「美味しいです……不思議な味ですね?」するとエミは教えてくれた。「フフ……これはね、冷やして食べるとバニラアイスのような味になると言われているフルーツなのよ」「あ……なるほど。確かに言われてみれば、バニラアイスの味がします!」「あら、アカリ。少し元気が出てきたみたいね?」「はい。フルーツを食べたら元気が出てきました」「そう、良かった。まだまだあるから沢山食べてね?」「はい……でもそんなに一度に沢山食べられないので少しずついただきますね」エミはその様子を見て頷いた。「一応、我が家で常備している風邪薬を持ってきたから、後で飲んでね?」「はい。色々とありがとうございました。折角モルディブに来て風邪をひいてしまって不運だなって思っていましたけど、エミさんに出会えて本当に良かったです……。こんなに誰かに親切にしてもらうのは……久
モルディブ時間の午後8時—―翔のスマホが鳴っている。部屋にいた明日香が気付き、手に取った。「誰かしら……あら?」着信相手は琢磨からだ。早速明日香は電話に出ることにした。「はい、もしもし」『もしもし…って明日香ちゃんか?!』「ええそうよ、何? 仕事の話かしら?」明日香はベッドの上でワインを手に取ると優雅に飲んだ。『いや……別にそういうわけじゃないが……。翔はどうしたんだ?』「シャワーを浴びに行ってるわ」『そうか。という事は食事は済んだのか?』「ええ、そうよ。今日はモルディブでも有名なレストランに行ってきたのよ。やっぱりこの国の魚料理はおいしいわね」明日香はその時の事を思い出し、笑みを浮かべる。『ああ、そうかい。それは良かったな』電話越しに琢磨のイラつきを感じとる明日香。「あら、何よ。随分イラついているじゃない? さては私達だけモルディブで羽を伸ばして自分だけは日本で仕事をしているから、八つ当たりでもしてるのかしら? なら貴方も来月休暇を取ってここに来ればいいじゃない。海は綺麗だし最高よ?」そしてもう一杯、ワインを飲み干す。『おい……明日香ちゃん。もしかして酒でも飲みながら話してるのか?』「あら、良く分かったわね?」『当り前だろう? さっきから会話の合間合間に何か飲み干す音が聞こえてくるんだから……おい、電話中に酒はやめろよ。気が散る』「ほんとに琢磨って昔から遠慮なしにずけずけと言いたい事言ってくれるわね? この私にそんな口聞くの貴方くらいよ?」『おお、そうかい。それは良かったな? 明日香ちゃんに物申せる人物がいてさ』「……切るわよ? 何よ。文句を言う為にかけて来た訳?」明日香はムッとして通話を切りかけ……。『おい、待てよ! おかしいだろう? そもそも俺は明日香ちゃんの携帯じゃ無くて、翔の携帯に電話してるんだぞ? 勝手に人の電話に出て、挙句に切ろうとするなんて滅茶苦茶な話だろ?』「……それじゃ、何の為に電話してきたのよ」すると、はああ~と電話越しに琢磨の溜息をつく声が聞こえてきた。『ああ……もういいや、電話の相手が明日香ちゃんでも』「何よ? 私でもいいって?」『いいか? 俺は朱莉さんの事で電話をかけてきたんだ』朱莉と聞いて、明日香の眉がピクリと動く。「な、何よ。私はちゃんとやるべきことはやったわよ? 彼女の
「ただいま……」玄関を開け、朱莉は誰もいないマンションに帰って来た。日は大分傾き、部屋の中が茜色に代わっている。朱莉はだれも使う人がいなくなった、航が使用していた部屋の扉を開けた。綺麗に片付けられた部屋は、恐らく航が帰り際に掃除をしていったのだろう。航がいなくなり、朱莉の胸の中にはポカリと大きな穴が空いてしまったように感じられた。しんと静まり返る部屋の中では時折、ネイビーがゲージの中で遊んでいる気配が聞こえてくる。目を閉じると「朱莉」と航の声が聞こえてくるような気がする。朱莉の側にいた琢磨は突然音信不通になってしまい、航も沖縄を去って行ってしまった。朱莉が好きな翔はあの冷たいメール以来、連絡が途絶えてしまっている。肝心の京極は……朱莉の側にいるけれども心が読めず、一番近くにいるはずなのに何故か一番遠くの存在に感じてしまう。「航君……。もう少し……側にいて欲しかったな……」朱莉はすすり泣きながら、いつまでも部屋に居続けた——**** 季節はいつの間にか7月へと変わっていた。夏休みに入る前でありながら、沖縄には多くの観光客が訪れ、人々でどこも溢れかえっていた。京極の方も沖縄のオフィスが開設されたので、今は日々忙しく飛び回っている様だった。定期的にメッセージは送られてきたりはするが、あの日以来朱莉は京極とは会ってはいなかった。航が去って行った当初の朱莉はまるで半分抜け殻のような状態になってはいたが、徐々に航のいない生活が慣れて、ようやく今迄通りの日常に戻りつつあった。 そして今、朱莉は国際通りの雑貨店へ買い物に来ていた。「どんな絵葉書がいいかな~」今日は母に手紙を書く為に、ポスカードを買いに来ていたのだ。「あ、これなんかいいかも」朱莉が手に取った絵葉書は沖縄の離島を写したポストカードだった。美しいエメラルドグリーンの海のポストカードはどれも素晴らしく、特に気に入った島は『久米島』にある無人島『はての浜』であった。白い砂浜が細長く続いている航空写真はまるでこの世の物とは思えないほど素晴らしく思えた。「素敵な場所……」朱莉はそこに行ってみたくなった。 その夜――朱莉はネイビーを膝に抱き、ネットで『久米島』について調べていた。「へえ~飛行機で沖縄本島から30分位で行けちゃうんだ……。意外と近い島だったんだ……。行ってみたいけど、でも
京極に連れられてやってきたのは国際通りにあるソーキそば屋だった。「一度朱莉さんとソーキそばをご一緒したかったんですよ」京極が運ばれて来たソーキそばを見て、嬉しそうに言った。このソーキそばにはソーキ肉が3枚も入っており、ボリュームも満点だ。「はい。とても美味しそうですね」朱莉もソーキそばを見ながら言った。そしてふと航の顔が思い出された。(きっと航君も大喜びで食べそうだな……。私にはちょっとお肉の量が多いけど、航君だったらお肉分けてあげられたのに)朱莉はチラリと目の前に座る京極を見た。とても京極には航の様にお肉を分ける等と言う真似は出来そうにない。すると、京極は朱莉の視線に気づいたのか声をかけて来た。「朱莉さん、どうしましたか?」「い、いえ。何でもありません」朱莉は慌てて、箸を付けようとした時に京極が言った。「朱莉さん、もしかするとお肉の量が多いですか……?」「え……? 何故そのことを?」朱莉は顔を上げた。「朱莉さんの様子を見て、何となくそう思ったんです。確かに女性には少し量が多いかも知れませんね。実は僕はお肉が大好きなんです。良ければ僕に分けて頂けますか?」そしてニッコリと微笑んだ。「は、はい。あ、お箸……まだ手をつけていないので、使わせて頂きますね」朱莉は肉を摘まんで京極の丼に入れた。その途端、何故か自分がかなり恥ずかしいことをしてしまったのではないかと思い、顔が真っ赤になってしまった。「朱莉さん? どうしましたか?」朱莉の顔が真っ赤になったのを見て、京極が声を掛けて来た。「い、いえ。何だか大の大人が子供の様な真似をしてしまったようで恥ずかしくなってしまったんです」すると京極が言った。「ハハハ…やっぱり朱莉さんは可愛らしい方ですね。僕は貴女のそう言う所が好きですよ」朱莉はその言葉を聞いて目を丸くした。(え…?い、今…私の事を好きって言ったの?で、でもきっと違う意味で言ってるのよね?)だから、朱莉は敢えてそれには何も触れず、黙ってソーキそばを口に運んだ。 肉のうまみがスープに馴染み、麺に味が絡んでとても美味しかった。「このソーキそばとても美味しいですね」「ええ、そうなんです。この店は国際通りでもかなり有名な店なんですよ。それで朱莉さん。この後どうしましょうか?もしよろしければ何処かへ行きませんか?」「え?」
「え……? プレゼントと急に言われても受け取る訳には……」しかし、京極は譲らない。「いいえ、朱莉さん。貴女の為に選んだんです。お願いです、どうか受け取って下さい」その目は真剣だった。朱莉もここまで強く言われれば、受け取らざるを得ない。(一体突然どうしたんだろう……?)「分かりました……プレゼント、どうもありがとうございます」朱莉は不思議に思いながらも帽子をかぶり、京極の方を向いた。すると京極は嬉しそうに言う。「ああ、思った通り良く似合っていますよ。さて、朱莉さん。それでは駐車場へ行きましょう」京極に促されて、朱莉は先に立って駐車場へと向かった。駐車場へ着き、朱莉の車に乗り込む時、京極が何故か辺りをキョロキョロと見渡している。「京極さん? どうしましたか?」すると京極は朱莉に笑いかけた。「いえ、何でもありません。それでは僕が運転しますから朱莉さんは助手席に乗って下さい」何故か急かすような言い方をする京極に朱莉は不思議に思いつつも車に乗り込むと、京極もすぐに運転席に座り、ベルトを締めた。「何処かで一緒にお昼でも食べましょう」そして京極は朱莉の返事も待たずにハンドルを握るとアクセルを踏んだ——「あの、京極さん」「はい。何ですか?」「空港で何かありましたか?」「何故そう思うのですか?」京極がたずねてきた。(まただ……京極さんはいつも質問しても、逆に質問で返してくる……)朱莉が黙ってしまったのを見て京極は謝った。「すみません。こういう話し方……僕の癖なんです。昔から僕の周囲は敵ばかりだったので、人をすぐに信用することが出来ず、こんな話し方ばかりするようになってしまいました。朱莉さんとは普通に会話がしたいと思っているのに。反省しています」「京極さん……」(周囲は敵ばかりだったなんて……今迄どういう生き方をして来た人なんだろう……)「朱莉さん。先程の話の続きですけど……。実は僕は今ある女性からストーカー行為を受けているんですよ」京極の突然の話に朱莉は驚いた。「え? ええ!? ストーカーですか!?」「そうなんです。それでほとぼりが冷めるまで東京から逃げて来たのに……」京極は溜息をついた。「ま……まさか京極さんがストーカー被害だなんて……驚きです」(ひょっとして……ストーカー女性って姫宮さん……?)思わず朱莉は一瞬翔の
「安西君…行きましたね」航の背中が見えなくなると京極が朱莉に話しかけてきた。「そうですね。……京極さん。昨夜……航君と何を話したんですか?」「航君は朱莉さんに昨夜のことを話しましたか?」「いいえ」「それなら僕の口からもお話することが出来ません。今はまだ。でも……必ず、いつかお話します。それまで待っていて下さいね」「……」(また……いつもの京極さんの口癖…)「京極さんは何故空港に来たのですか?」朱莉は俯くと別の質問をした。「安西君を見送りに来た……と言ったら?」「!」驚いて京極を見上げると、そこには笑みを浮かべた京極の顔があった。「そんな驚いた顔をしないで下さい。ここへ来たのは朱莉さん、貴女がきっとここに来ると思ったからです」「え?」「僕は朱莉さんに会いたかったから、ここに来ました。すみません。こんな方法を取って……。こうでもしなければ会ってはくれないかと思ったので」京極は頭を下げてきた。「京極さん。航君が突然東京へ帰ることになったのは、京極さんが航君のお父さんに仕事を依頼したからですよね?」朱莉が尋ねると京極は怪訝そうな顔を浮かべる。「もしかして……安西君が言ったのですか?」朱莉が黙っていると京極は溜息をついた。「彼は仕事内容を朱莉さんに告げたんですね? 顧客の依頼を第三者に打ち明けてしまった……。安西君は調査員のプロだと思っていたのに……」そこで朱莉は、アッと思った。(そうだ……! 依頼主の話は絶対に関係無い相手には話してはいけないことだって以前から航君が言っていたのに……私はそれを忘れて、京極さんに話してしまうなんて……!)「お、お願いです! 京極さん。どうかこのことは絶対に航君や……航君のお父さんに言わないで下さい! お願いします! 普段の航君なら絶対に情報を誰かに漏らすなんてことはしない人です。ただ、今回は……」気が付くと、朱莉は目に涙を浮かべ、京極の腕を振るえながら掴んでいた。「前から言ってますよね? 僕は朱莉さんの言葉ならどんなことだって信じるって。例えそれが嘘だとしても信じます。だって貴女は私利私欲の為だけに誰かを利用したり、嘘をついたりするような人では無いから」「京極さん……」「確かに、僕は今回安西弘樹興信所に企業調査の依頼をしました。ですが、それは朱莉さんが考えているような理由じゃありません
11時半—— 朱莉と航は那覇空港へと戻って来ていた。朱莉は先ほどの『瀬長島ウミカジテラス』が余程気に入ったのか、航に感想を述べている。「本当にびっくりしちゃったよ。まさかあんな素敵なリゾート感たっぷりの場所があるなんて。まるで何処かの外国みたいに感じちゃった」「そうか、そんなに朱莉はあの場所が気に入ったのか。それならまた行ってみたらいいじゃないか」航の言葉で、途端に朱莉の顔が曇った。「うん……そうなんだけど……。でも、私1人では楽しくないよ。航君と一緒だったからあんなにも素敵な場所に見えたんだよ」「朱莉……」朱莉の言葉に、もう航は感情をこれ以上押さえておくことが出来なかった。(もう駄目だ……!)気付けば、航は朱莉の腕を掴み、自分の方へ引き寄せると強く朱莉を抱きしめていた。(朱莉……! 俺は……お前が好きだ……離れたくない!)航は朱莉の髪に自分の顔を埋め、より一層朱莉を強く抱きしめた。「わ、航君!?」位置方、驚いたのは朱莉の方だった。航に腕を掴まれたと思った途端、気付けば航に抱きしめられていたからだ。慌てて離れようとした瞬間、航の身体が震えていることに気が付いた。(航君……もしかして泣いてるの……?)——その時。「何をしているんですか?」背後で冷たい声が聞こえた。航は慌てて朱莉を引き剥がすと振り向いた。するとそこに立っていたのは——「京極……」京極は冷たい視線で航を見ている。「安西君。君は今朱莉さんに何をしていたんだい?」「……」(まさか……こいつが空港に来ていたなんて……!)航はぐっと拳を握った。その時、朱莉が声を上げた。「わ、別れを! 別れを……2人で惜しんでいたんです……。そうだよね、航君?」朱莉は航を振り返った。「あ、ああ……。そうだ」「別れ……? でも僕の目には航君が一方的に朱莉さんを抱きしめているようにも見えましたけど?」「そ、それは……」思わず言葉が詰まる航に朱莉が素早く反応する。「そんなことありません!」「朱莉……?」「朱莉さん……」朱莉の様子を2人の男が驚いた様に見た。丁度その時、航の乗る飛行機の搭乗案内のアナウンスが流れた。「あ……」航はそのアナウンスを聞いて、悲し気に言った。「朱莉。俺、もう行かないと……」「う、うん……」すると京極が笑みを浮かべる。「大丈夫ですよ、
「朱莉、おはよう!」航は笑顔で元気よく朱莉に朝の挨拶をした。8時に起きた航がキッチンに行くと、そこにはもう朱莉が朝食の用意をして待っていたのだ。「おはよう、航君」朱莉も笑顔で挨拶する。「朱莉、今朝の朝飯は和食か?」航がテーブルに座ると尋ねた「うん。そうだよ」朱莉は、ご飯に味噌汁、焼き鮭、青菜の煮びたし、だし巻き卵をテーブルに並べた。「へえ~どれもうまそうだな」「ありがとう、それじゃ食べよう?」そして2人でいつもと同じように向かい合わせで食事を始めた。「うん、やっぱり朱莉の作った飯はうまいな」航は笑顔で言いつつも、心の中は暗く沈んでいた。(もう……こうやって朱莉の手作り料理を食べることも無くなるんだな……)すると、そんな航の気持ちを汲み取ったのか朱莉が言った。「あ、あのね……航君さえ良かったら、東京に戻っても時々は私の住む部屋に遊びにきてくれれば、食事位用意するけど……?」「朱莉……」航はその言葉を聞けて、自分でも驚く位感動してしまった。だが……。「朱莉……。気持ちは嬉しいけど……多分それは無理だろう……?」「え? どうして?」朱莉は顔を上げた。「どうしてって……。だって次に朱莉が東京に戻れば赤ん坊との生活が始まるわけだろう? そんな子育てで忙しい時に……俺が訪ねるわけにはいかないだろう……?」航は茶碗と箸を持ちながらポツリと呟いた。「あ……」朱莉もそのことを指摘されて気付いた。(そうだ……私は明日香さんの赤ちゃんをこれから24時間見守っていかないといけない。しかも自分の赤ちゃんじゃないから翔先輩と明日香さんの大切な赤ちゃんを預かる訳だから、より一層神経を使って育てて行かなくちゃならないんだ……)「そ、そうだったね。確かに航君の言う通り難しいかも……」すっかり元気を無くしてしまった朱莉を見て、航は慌てた。「あ、で、でも朱莉! 子育てが落ち着いて……そして5年後、鳴海翔との離婚が成立すれば、その時は俺が……!」言いかけて、航は口を閉ざした。俺が……? その後自分は何を言おうとしたのだろう? 一瞬昨夜言われた京極との話を忘れかけていた。(そうだ……俺はもう朱莉のことを……諦めなくちゃいけないんだ……)思わず目頭が熱くなりかけ、航は目を腕でゴシゴシと擦った。「航君? どうしたの?」朱莉が不思議そうに首を傾げ
「……うまい言い訳だな」腕組みをしてこちらを睨み付けている航を見て京極は溜息をついた。「どうも君はさっきから僕のことを何か勘違いしているように見えるから、この際はっきり言わせてもらう。いいか? 僕は敵じゃ無い」「敵? 何のことだか」すると京極の態度が変わった。顔つきが険しくなり、声のトーンが低くなった。「いいか? 敵を見誤るな。本当の敵は誰なのか、よく考えてみろ。君が余計な動きをすると今迄立ててきた計画に支障をきたすんだ」「な、何だよ……その計画って言うのは……」航が尋ねると京極が言った。「いいだろう。別に教えてやってもな。その代わり約束して貰う。この話を聞いた後はもう僕のことを嗅ぎまわるのはやめてもらうからな?」そして京極は静かに語り始め……航の顔色が青ざめていった――****「航君、遅いな……」朱莉はリビングで航が帰って来るのを待っていた。壁にかけてある時計を見ると時刻は既に夜中の0時を過ぎている。「戸締りをして先に休んでいるように言われてたけど心配だな……」——ガチャリ丁度その時、玄関のドアが開く男が聞こえた。(航君が帰って来たんだ!)「お帰りなさい、航くん!」朱莉は笑顔で玄関まで迎えに行った。「ええ? まだ起きていたのか?」航はびっくりした様子で朱莉を見つめる。「それで京極さんとの話し合いはどうなったの?」「うん、気になって眠れなくて……それで京極さんとの話はどうなったの?」「ああ、それなら問題ない。大丈夫、解決したんだ。朱莉は何の心配もする必要は無いからな?」航は笑顔で答える。「え? 航君……それは一体どういう意味なの……?」(何だろう? 何だか釈然としない。マンションを出た時の航君と、今の航君は何故か別人のように感じる……)「だから、朱莉。そんなに心配そうな顔するなって。京極はもう朱莉に余計なことは何一つ尋ねないって約束してくれたんだよ。それってつまり朱莉が10月に明日香の産んだ子供を連れて億ションに戻ったとしても京極は何も聞かないってことだとは思わないか? 朱莉が答えられない質問は一切しないと京極が約束したんだ。だから俺もその代わりに京極のことを調べるのはやめると互いに取り決めを交わしたのさ」「航君……?」朱莉は耳を疑った。本当は航は京極に何か脅迫されて、今の台詞を言わされているのではないだろ
航が待ち合わせ場所に着いた時には既に京極の姿がそこにあった。「やあ、安西君。待っていたよ」京極は笑顔で航に笑顔で挨拶をしてきた。「京極……」航は苦々し気に京極の名を呟いたが、京極の耳には届いていた。「また君はそんな口の利き方を……いいかい、僕は君よりも5歳年上なんだよ? もう少し部をわきまえるべきだと思うけどね?」「ああ、普通はそうだろうがな……。だが、あんたは朱莉の敵だ。敵に対して部をわきまえるつもりは俺には無い」「……」京極は黙って航を見つめていたが、やがて言った。「やめておこう。こんな人通りが多い場所で立ち話をするような話の内容でもないし。そうだな、ビーチにでも行ってみるかい?」「あいにく夜に男とビーチに行くような趣味は俺には無いんだよ。朱莉とだったら一緒に行ってもいいけどな?」ニヤリと口角をあげる航。「朱莉……」京極の眉がピクリと動いた。航はわざと京極を挑発するような言い方をしたのだ。「いいだろう、それじゃ航君は話し合いの場は何所なら構わないって言うんだい?」京極は肩をすくめた。「お前となら、その辺のファミレスで十分だ」何所までも喧嘩腰な口調の航。「ファミレスか……。うん、丁度あそこにあるね。よし、行こう」京極が先に立って歩き出したので、航は後に続いた。 2人でファミレスの席に向かい合わせで座り、お互いコーヒーを注文した。そして程なくしてそれぞれの前にコーヒーが運ばれてくると、早速京極が口を開いた。「さて、本題に入らせて貰おうか? 航君、忠告しておく。僕のことを調べるのはやめるんだ。君のような人物に周辺をチョロチョロされるのは、はっきり言って迷惑なんだ。さもなくば……」「さもなくば……どうするんだ? 俺を脅迫するネタでもあるのか?」「別にそういうことはないけどね。ただ、周りを嗅ぎまわられるのは、いい気分はしない。君だって、自分がその立場だったらそう思うだろう?」「自分のことを調べるのはやめろって、つまりお前に何かやましいことがあるからだろう? 第一そっちこそ俺のことを調べているんじゃないのか? そうでもなければ、わざわざうちみたいな小さい興信所に企業調査の依頼なんかしてくるはずがない」「……」京極は黙って航の話を聞いている。「お前は俺が朱莉の側にいるのが邪魔で仕方が無いんだろう? だから朱莉から俺を
「え!? まさか『リベラルテクノロジーコーポレーション』って京極さんの会社の!?」「そうだ……。きっとこれは京極の差し金に違いない! 恐らくアイツは俺が自分のことを調べようと思っているのに感づいたのかもしれない。俺と言う邪魔な存在を排除するために東京へ戻すように企てたんだ……!」「航君……」「朱莉、すまない!」航はソファから降りると朱莉に突然土下座をしてきた。「ま、待って。航君、そんな真似しないで。だって航君は何も悪いことしていないじゃない」朱莉は慌てて航の側へ行くと肩に手を置いた。航は朱莉の顔を見つめた。「いや、やはり俺のせいなんだ。俺が……京極の前で興信所の調査員だと身元を明かしたからあいつは俺のことを調べたんだ。絶対そうに決まっている」「航君……」その時、朱莉のスマホが鳴った。朱莉はテーブルの上に置いてたままのスマホに手を伸ばしたが……着信相手を見て固まってしまった。相手は京極だったのだ。「朱莉、俺にそのスマホ貸せ!」朱莉が頷くと、航は自ら朱莉のスマホをタップした。「もしもし……」なるべく怒気を押さえて話すが、京極に対する怒りがどうしても抑えられない。『ああ……安西君でしたか。こんばんは』妙に落ち着いた声が受話器越しから聞こえてきた。「京極さん……俺が朱莉の電話に出たのに随分落ち着いていらっしゃいますね?」『そうかな? もし、そう感じられるのであれば安西君、君に何か心当たりがあるからでは無いですか?』「何!?」「わ、航君……」朱莉が航の剣幕に困惑している。「京極さん、俺は明日東京へ帰らなくてはならなくなりましたよ」『そうですか。それはまた急ですね。飛行機のチケットは取れそうですか?』「いいえ、あまりにも突然の話だったのでこれから手配しなくてはならなくて大変ですよ。もしかすると飛行機の席をとれないかもしれませんね」お互い、冷静な口調で話してはいるが、そこにはまるで火花が飛散っているように朱莉には感じた。『それなら大丈夫。僕が羽田行のチケットを押さえてあるから』京極の言葉に航は衝撃を受けた。「何だって……!?」航は初めて、そこで怒りを露わにした。『それで航君、君に飛行機のチケットを渡したいのでこれから会えませんかね?』「それは丁度良かった。俺もあんたに会いたいと思っていたんでね」もう航は京極に対して